映画『母さんがどんなに僕を嫌いでも』を観ました。
母親から虐待を受けて育った主人公のタイジは17歳で家を飛び出すが、それでも母が好きだということに気づき、大人になってからもう一度母親と向き合うという実話を元にしたお話です。
ネタバレを含んだ感想を記録しますので、まだ見ていない方は映画を見てから戻ってきていただけたら嬉しいです。
予告だけでも感動しちゃうから、まずはこれを見てほしい!
拒絶され虐待されつづけるタイジ
ちょこちょこ出てくる虐待シーンには本当に心が痛みました。叩く・突き飛ばすなどの暴力的虐待だけでなく、「ブタ」と罵るなどの精神的虐待。
夫婦関係も悪く、激しく夫婦喧嘩する場面もあり。それでも親の機嫌を取ってにっこりと笑う子どもの姿が、ほんとうに痛々しいんです。
施設に入れられたり、離婚してさらに母親が不安定になったり。最終的には「あんたなんか産まなきゃよかった!」「死んでよ!」と叫ばれ刃物を向けられたことをきっかけに、17歳で家を飛び出すことになる。
そんな母との関係をどうやって取り戻していくのかが見どころになります。
相手を理解し、自分から変わる
この作品で私が一番心を動かされたのは、タイジの背中を押した友人たちの言葉です。
「親に変わってほしかったら、まず自分が変われ」
「親に変わってほしかったら、まず自分が変われ。子供が変われば、親も絶対変わる」。
友人の大将はタイジにこんな風に言いました。でも正直、虐待をされたタイジにとっては酷ですよね。そもそも親が子供に愛情をかけるのは当たり前だと私は思うし、虐待する方が悪い。
だけど、相手をこちらの意思で無理やり変えることなんてできないってこと。人に変わってもらうことを期待するのは無理なんです。
それは虐待という事実をもってもそうなのかと、現実の厳しさを感じさせられました。
「理解は、気づいた方がすべし」
人は、気づかなければ変わりません。
自分は正しい・間違ってないと思っていたり、相手の事情に目を向けられなかったり、現状を変えたい・変わりたいと思わなかったり。そのどれもが「気づいていない」になるのだろうと思います。
気づくことって、すごいんです。気づけたことって、すごいと思うんです。
虐待されたタイジは母親を恨んで離れて生きてきたけれど、本当は愛されたいとか関係を取り戻したいとかそんな気持ちが、心の奥底にはあったんだと思います。
それに気づいたタイジの方から相手を理解しようよ、ということです。
友人のキミツくんは「理解する力のある方が先に気づくの。親とか子供とか関係なし」て言ってましたが、そんなこと言えるなんて、ほんと、なんてできた人間なんだろうと思いましたね。
相手が気づくかどうかもわからないのに、気づいたとしても歩み寄ってくるかどうかもわからないのにそれを期待して待つよりも、自分から相手を理解する。
それが一番の近道であり、そうでないと永遠に変わらない…かもしれない。
傷つくリスクを考えるとすごく勇気のいることですごく難しいことですが、とても正しいことだと思います。
ちなみに、原作者の歌川たいじさんはインタビューでこんなことを言ってます。
「関係性がなかったら、彼らの言葉も素直に受け入れられなかったかもしれない。関係性があったから、言葉そのものよりも、大将やキミツ(友人たち)を信じようと思えました」
たしかに、そうですよね。
この先の感想に通じるところがありますが、自分を受け入れてくれた彼らの言葉だったから心に響いたんでしょうね。
虐待をした「母」の背景
母親役の吉田羊さんは外向きの顔はいいけれど、家では全然笑顔を見せない。そんな役柄を演じられていました。
そんな母さん自身は、どんな人生を生きていたのか…?
大人になったタイジに、母はこんな話をしています。
子供は二人もいらなかった。周りが跡取りを産めってプレッシャーかけるから仕方なくつくったのに、なのにあいつ、あんた妊娠してる間に女つくったんだよ。…辛かったぁ。本気で堕ろそうと思った。
また、タイジは母を理解するために叔母のもとを訪ね、こんな話も聞いています。
うちは母子家庭だったから、私たちの母親はいくつも仕事を掛け持ちして、女で一つで私たちを育てたの。ほんとに貧しかったから、子供のころ親に何かねだった記憶なんて全然なくて、遊園地も旅行にも行ったことなかった。
貧しさのストレスもあったんだと思うけど、母はすぐ殴る人でね。とにかくしつけは厳しかった。…ていうか、あれは虐待だね。
みいちゃんばっかり殴られて、みいちゃんずっと黙って耐えてたけど、18でたいちゃんのお父さんと知り合って、すぐに家を飛び出した。
母自身も幼いころに母親から辛く当たられた経験があり、結婚してからは夫にも裏切られていた。それが虐待をしても仕方ないという理由には絶対になりませんが、母さんは母さんでずっと苦しかったのだろうと想像できます。
子供をもった経験もなく虐待された経験もない私ですが、唯一浮気をされた経験はあるので、そこの苦しさは何となくわかるんですよね。
いつも綺麗で、いい匂いがして、頭の回転が速く、おしゃべりも上手で、いつも周りに取り巻きがいるようなカリスマ的存在の母。そのぶんプライドも高く、自分の弱さを見せたり素直になれる場所がなかったように見えました。
本当は弱くて脆いのに。それを隠すように…でもコントロールできなくて…。
母さんの怒ったような冷たい表情を見るたびに、心の中にたくさんの怒りや不満が溜まっているのだろうなと感じられて、それはそれで辛かったです。
人は、受け入れてもらえる場所があれば頑張れる
いくら母親が大好きだとしても、あんなに拒絶されまくったら心も折れる。そもそも傷ついているのに、これ以上自ら傷つきになんていけるものではありません。
それでもタイジが頑張れた理由は、大人になってから出会った友人たちや幼いころから慕っていた工場のばあちゃんの存在が大きかったんじゃないでしょうか。
子供時代の虐待を知った友人たちは「私たち、今のたいちゃんが大好きだよ!」と抱きしめてくれました。自分を自虐して作り笑いをするタイジに対して、ばあちゃんは「たいちゃんには本当に笑ってほしいの」とまっすぐ伝えてくれました。
ブタだと罵られて生きてきたタイジに対して、ばあちゃんは「『僕はブタじゃない』て言って」とお願いするんです。タイジが戸惑いながらも「僕はブタじゃない」と涙を流して言うシーンでは「自尊心を持ちなさい」と教えてくれているような気がしましたね。
自尊心は生きていくうえでとても大切なことだと、私も今ならわかります。
こんなふうに、そのままのタイジを受け入れてくれる人たちの存在が、生きる力・母と向き合う力になったんだと思います。
タイジはのちに、母と向き合う中で「母さん!僕がいるから!母さんも頑張ってよ!」という言葉をかけるのですが、「母さんが人生に立ち向かうための力になるから、支えるから」というような大きな愛を感じました。
自分の人生を動かせるのは自分だけ。母さんを助けたくても、タイジが救えるわけじゃない。母さんの人生は母さんのもので、その問題を解決できるのは母さん自身でしかない。
でも人は弱くて独りぼっちで立ち向かうには辛すぎるから、誰かの支えが必要なんだと思う。支えがあるから頑張れるのだと思う。
友人たちに支えられたタイジが、次は母さんの支えになったのでしょう。何かを変えることができるのは、いつだって「愛」なのかもしれません。
まとめ
この作品には、傷ついた人生から立ち直るうえで力になるような大切なことが、たくさんたくさん詰まっているような気がしました。
原作者の歌川たいじさんは、インタビュー記事で「傷は消えるものではない。だから傷が誇りになるような新しい記憶をこれから作ろう」とおっしゃっています。それが母親へ親孝行することに繋がったのだそうです。
結果、「今は幸せ」「明日死んだとしても人生の収支は黒だと思える」とまでおっしゃっているので、本当に頑張ってこられたんだなと思いました。
と同時に、今どんなにつらい状況にあっても自分次第で未来は変わるという希望がみえ、勇気が湧いてくる作品でした。
▽原作はこちら
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