今まで当たり前のように使ってきた「貧乳」という言葉。
小さなお胸にコンプレックスを持っている私は、自分のお胸を「貧乳」というカテゴリーに分類していましたし、自分のお胸を表現するときには「貧乳」と言えばわかりやすい(よく伝わる)と思いブログでも使っていました。
ですがよく考えてみてください。「貧乳」て「貧しい胸」て書くわけですよ。
「貧しい」って、どう考えてもいい言葉じゃありませんよね。大きい小さいならまだしも、貧しいって言われるとマイナスなイメージしかありません。
そもそも、お胸に貧しいも豊かもあるんですか?なんだか、貧しいのがダメで豊かなほうが優秀と評価されている感じではないですか?
わざわざ貧しいだなんて言わなくても「小さい」でよくないですか?胸が小さいと言われるより「貧乳」と言われるほうが傷つきませんか?
そんな当たり前なことに当事者である自分が気づくこともないほどに、世の中に「貧乳」て言葉は浸透しきっています。
「貧乳」は人を傷つける言葉だと思う
そもそも「貧乳」の定義なんてありません。ブラのサイズで言うと、A~Bカップが貧乳という人もいればCカップでも貧乳だと感じる人もいる。
私はAA~Aでして、そんな私からみたらBとかCって羨ましい限りなのですが、それでも「私貧乳なのが悩みなんです」なんて言ってる女の子がいると知った日には「まじか…」とショックでしたよ。
それを貧乳と呼ぶならば、いったい私はどこまで大きくしてこの貧乳界を抜け出せばいいのかと思ったものです。
とにかくこの「貧乳」という言葉は誰かを傷つける言葉でしかないんですよ。それを自分に向けて使うのは違うんじゃないかって話です。
お胸がコンテンツ化されている
こう思うようになった、というよりこの世の中のおかしさに気づいて目が覚めたのは、Twitterで見つけた「おっぱいのこと、コンテンツか何かだと思ってない?」という記事(マンガ)を読んだからです。
記事の内容を簡単にまとめると、
というお話です。
メディアの影響で過剰なコンプレックスを抱いてる人って、本当に多いと思う。そして私もそうです。
自分の体の一部であるのに、どうしてこんなに他人の目線(評価)を気にしなければならないのか。おかしいよね。
実際私もこれまで生きてきた中で、小さなお胸を他人にいじられた経験は何度かあります。
中学1年生のころ、初めて同じクラスになって知り合ったばかりのよく知らない男の子から貧乳といじられたり、体の関係をもった彼氏(現在の夫)には「(無さすぎて)びっくりした」とか「ブラの意味あるの?」て言われたこともありました。
中学時代の男の子はまだしも、好き同士で交際しているはずの相手にまでお胸を私の一部として大切にされてなかったんだなって。なんだか恥ずかしくて、そりゃあコンプレックスは根深くなりますよね。
大きいのがいいこと。大きいほうが優れている。大きいほうが魅力的。そう受け取ってしまうと、小さいのはダメなこと。小さいのは劣ってる。小さいと女性としての魅力がない。そう思うようになるわけです。
でもそれは違います。記事にも書いてありますが「そこに魅力を感じる誰かがいたとしても、おっぱいはその誰かのためにあるわけじゃない」。そうなんです。
私のお胸は私だけのもの。いいとか悪いとか他人に評価されるようなものじゃない。
貧乳という言葉が浸透しているからと言って、自分で自分を傷つけるような言葉を使うなんて、レッテルを貼るなんて、自分がかわいそうじゃないですか。
小さなお胸も素晴らしい
とある男性の「おっぱいにサイズは関係ない、おっぱいであるだけで素晴らしい」という意見をTwitterで見て救われたことがありますが、今では私も同じように思っています。
自分のお胸が小さくても、これはこれで素敵なのです。女性として劣ってるなんてこともないのです。だって、小さなお胸のおかげで似合うファッションだってあるじゃないですか。
そう思えるようになると「貧乳」すなわち「貧しい胸」という言葉が違和感でしかなくなりました。
そのうえで「お胸が大きな人生も送ってみたい」という憧れがあるので育乳しているわけですけどね。
世の中の「他人のお胸を悪気なく堂々とコンテンツ扱いする感じ」がなくなればいいなと思いますし、そういう意味でも「貧乳」という言葉を使うのはやめようって思います。
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